「有事の金」から「有事のドル」へ
1990年代に入ると「金(ゴールド)」の評価が一変します。
世界の中央銀行は対外準備資産として、ドルなどの通貨のほか、「金」も保有していますが、その割合は、欧米主要国では外貨準備の60〜70%にも上るといわれています。
ところが、1990年代に入ると、オランダやベルギー、英国、フランス、スイスなどが、次々に「金」の大量売却に踏み切ったからです。
これは、当時、金価格は増産による構造的供給過剰で長期的に低迷していて、もはや「有事の金」などというのは時代遅れとみなされ、今後は「有事のドル」で十分であるという認識が広まったからです。
こうした背景の下、金価格は1987年のブラックマンデー当時の半値となる250ドルまで下落しました。
「ワシントン協約」により金価格が大底を打った
しかしこれは、結果的には自分たちの首を絞めることにもつながったのです。というのは、金価格の下落で最も損失を被るのは、大量に金を保有している各国の中央銀行だったからです。
そこで、ECB(欧州中央銀行)は、1999年に「金」の売却の総量規制をする「ワシントン協約」を締結しました。これにより、金価格は大底を打つことになります。
そして、これを機に現在に至るまでの長期上昇トレンドが始まったのですが、2001年9月1日の米国同時多発テロは、それを加速させる大きな転換点となりました。 |